Thursday, May 25, 2006

Charles Lutwidge Dodgson aka Lewis Carroll 01











Charles Lutwidge Dodgson (チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン)
ペンネーム: Lewis Carroll (ルイス・キャロル)
1832年1月27日にイングランド (England) 北西部にあるチェシャー州 (Cheshire) 北部のウォーリントン (Halton) 東部の村ダーズベリ (Daresbury) において、教区牧師であった父のチャールズ・ドジソン (Charles Dodgson) と母フランシス・ジェイン・ラトウィッジ (Frances Jane Lutwidge) との間に生まれた。
1898年、年始をイングランドの南東部にあるサリー (Surrey) のギルフォード (Guildford) にある姉妹の家で過ごしていたが、インフルエンザに罹り、併発した肺炎で1月14日に亡くなった。

母校のオックスフォード大学のクライスト・チャーチ学寮の数学講師を長年務め、数学者、論理学者としても活動。
アマチュア写真家として多くの肖像写真や風景写真を撮影したが、特に子供たちを被写体とした写真は際立っており、子供の写真の分野ではジュリア・マーガレット・キャメロン (Julia Margaret Cameron) と共に19世紀を代表する写真家といっていいだろう。
また、ルイス・キャロルというペンネームで作家、詩人として活動しており、中でも今現在も世界中で親しまれている 『不思議の国のアリス (Alice's Adventures in Wonderland)』 は児童文学としてだけでなく、幻想文学、ナンセンス文学としても傑出した出来で、子供ばかりか大人をも魅了し続けている (個人的には最後の小説となった 『シルヴィーとブルーノ (Sylvie and Bruno)』 が好き)。


姉が2人、弟が3人、妹が5人という大家族の長男として育ったが、内気な子供で、吃音症であったという。
幼年期の教育は家庭内で行われ、7歳になる頃にはジョン・バニヤン (John Bunyan) の宗教的な寓意物語として有名な 『天路歴程 (The Pilgrim's Progress)』 を読む程の早熟な知性を持った子供だったそうなので、手のかからない子供だったのではないかと思われる。
11歳の時、父のヨークシャー州クロフト転任に伴い一家は大家族が暮らすには十分な広さのある教区館へと移り住み、以後一家は25年間この教区館で生活することになる。
1844年、12歳でリッチモンド近郊にあった私立のリッチモンド・グラマー・スクール ( Richmond Grammar School) に入学。
卒業後、、1851年1月に父親の母校でもあったオックスフォード大学 (University of Oxford) のクライス・トチャーチ学寮 (Christ Church) へ進んだ。
1854年、最優秀の成績で卒業するとそのまま母校に残り、1981年10月18日までの26年間、数学講師として勤めた。

チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンが詩や物語の創作活動を活発にるようになったのは大学を卒業し講師として働き始めた1854年のことで、"The Comic Times" 誌や "The Train" 誌といった広く読者のいる雑誌から "Whitby Gazette" 誌や "Oxford Critic" 誌といったマイナーな雑誌まで、多くの雑誌に創作作品を寄稿。
後に 『不思議の国のアリス (Alice's Adventures in Wonderland)』 の作者名として有名になるルイス・キャロル (Lewis Carroll) という筆名は、1856年、"The Train" 誌に寄稿した "Solitude" という詩で初めて使用された。
この1856年という年は 『不思議の国のアリス』 を語るうえでもう一つ大きな出来事があった年としてアリス狂の間では知られている (多分)。
それはクライスト・チャーチの新しい学寮長として転任してきたヘンリー・リデル (Henry Liddell) とその家族との出会いで、このリデル家と親しい付き合いをするようになったドジソンは、リデル家の三姉妹であったロリーナ (Lorina)、アリス (Alice)、イーディス (Edith) と大変仲良くなったのだ。
この三姉妹の次女こそが 『不思議の国のアリス』 の主人公アリスのモデルであるということはあまりに有名だろう。

『不思議の国のアリス』 の冒頭でアリス・リデルに捧げられた詩において、「ときまさに 黄金の 昼さがり / 水の面ゆく 船足は のたりのたりと / オール持つ 頼りなげな / 四本の 小さな手 / 加うるに 水先を 案内する / 手が二本 これも幼く」 としたためられたのは、1862年7月4日の出来事のことであり、ドジソンは大学の同僚ロビンソン・ダックワース (Robinson Duckworth) と一緒にリデル家の三姉妹を連れ立ってオックスフォード近郊のフォーリー橋からテムズ川をボートで遡ってたゴッドストウ村まで遠出し、村の土手でお茶を楽しんだ。
テムズ川を遡る中、ドジソンはリデル家の三姉妹に風変わりなお話を語って聞かせたという。
その風変わりなお話はアリス・リデルにせがまれ、アリスを主人公とした 『アリスの地下の冒険 (Alice's Adventures Under Ground)』 というタイトルの物語としてまとめられ、、1864年11月26日、少し早いクリスマスプレゼントとしてアリスに贈られた。
ドジソンはこの 『アリスの地下の冒険』 の原稿を親交のあったジョージ・マクドナルド () に送っている。
原稿を読んだジョージ・マクドナルド出版を勧められた。
また、このお話を読んだマクドナルド家の11人の子供たちが皆 『アリスの地下の冒険』 に熱狂したことにも後押しされ、ドジソンは18,000語の原稿を35,000語にまで加筆し、まとめあげた。
そして1865年、ジョン・テニエル (John Tenniel) の挿絵入りでマクミラン社から 『不思議の国のアリス』 として出版されると、瞬く間に人気の児童文学となった。


写真家としてのチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン aka ルイス・キャロルについてまとめるエントリであるのだけど、その前段としてドジソンがルイス・キャロルとして有名になるまでをまとめたをまとめてみたのだが、それだけで、なんだかもう十分に遣り切ったという気分になっている。
で、以下、ヘルムット・ガーンズハイム (Helmut Gernsheim) が1949年に出版したルイス・キャロルについてのモノグラフ 『写真家ルイス・キャロル (LEWIS CARROLL Photographer)』 に依拠しつつ、写真家としてのチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン aka ルイス・キャロルについてまとめる予定でいて、実際、途中までまとめたところで、長くなりそう、テーマでエントリ分けた方がいいな、なんてことを考えだし、悩むの面倒、ということで素直に分割することに決定。

このエントリではまずリデル家の三姉妹の肖像写真をまとめようかなと考えたりしたのだけど、とりあえず最初のエントリなので、ドジソン=キャロルが撮影した少女たちの中から、比較的キャッチーなものを選んでポストすることにした。
そのうち、「コスチューム・プレイ」 や 「眠りについた少女たち」 や 「ソファの上の少女たち」 や 「父と娘」 や 「読書」、そういったテーマから漏れた写真についてもまとめてみたい。
その予定されるエントリへの予告を兼ねて、吉岡実の 『サフラン摘み』 という詩集に収録されている 「ルイス・キャロルを探す方法」 という詩からその一部である 「わがアリスへの接近」 を引用しておこう。

ルイス・キャロルを探す方法

わがアリスへの接近

三人の少女
アリス・マードック
アリス・ジェーン・ドンキン
アリス・コンスタンス・ウェストマコット
彼女らの眼は何を見ているのか?
彼方にかかる縄梯子
のびたりちぢんだりするカタツムリ
刈りとられるマーガレットの黄と白の花の庭で
彼女らの脚は囲まれている
どこからそれは筒のようにのぞくことができるか?
「ただ この子の花弁がもうちょっと
まくれ上がっていたら いうところはないんだがね*」
彼女らの心はものみなの上を
自転車で通る
チーズのチェシャ州の森
氷塊をギザギザの鋸の刃で挽く大男が好き
鞄のなかは鏡でなく
肉化された下着
歴史家の父の死体にニスをかけて
床の下の世界から
旅する谿のみどりの水をくぐる
一人の少女を捕えよ
なやましく長い髪
眠っている時は永遠の花嫁の歯のように
ときどきひらかれる
言語格子
鉛筆をなめながら
わが少女アリス・リデル
きみはたしかに四番目に浅瀬をわたってくる
それは仮称にすぎない
〈数〉の外にいて
あらゆる少女のなかのただひとりの召女!
きみはものの上を通らずに
灰と焔の最後にきた
それでいてきみは濡れている
雨そのもの
ニラ畑へ行隠れの
鳩の羽の血
形があるようでなく
ただ見つけ出さなければならない浄福の犯罪
大理石の内面を截れ
アイリス・紅い縞・秋・アリス
リデル!

* ルイス・キャロル〈鏡の国のアリス〉岡田忠軒訳より
 - 吉岡実 「ルイス・キャロルを探す方法」 『サフラン摘み』 より

この詩がなぜ予告になるのかというと、と解説するのは野暮なのだが、予定しているエントリを今後本当に立てるのかどうか自分でもあやしいと思っているので、立たなかった場合、意味のない予告となってしまうということもあり、一応そのことに触れておくことにしたい。
この詩で最初に名前を挙げられる三人の少女、アリス・マードック、アリス・ジェーン・ドンキン、アリス・コンスタンス・ウェストマコットはポストした写真の中には登場しないが、今後のエントリで登場するであろうといった程度のことではあるのだけど。
「彼方にかかる縄梯子」 という一節は、アリス・ジェーン・ドンキンのコスチューム・プレイ写真〈駆け落ち〉から生まれた一節だと思われ、そういった意味では 「コスチューム・プレイ」 をテーマにしたエントリへの予告ということになるだろう。


ポストしたのは、

"Alice Liddell" (1858)
"Beatrice Mary" (1862)
"Beatrice C. Harington & Alice M. Harington" (1860)
"Amy Hughes" (1863)
"Marion (Polly) Terry & Florence (Flo) Terry" (1865)
"Flora Rankin, Irene MacDonald, and Mary Josephine MacDonald at Elm Lodge" (July 1863)
"Alexandra Kitchin (Xie Kitchin) in Chinese costume" (July 14, 1873)
"Lorina & Alice Liddell (Liddells in Chinese Dress.)" (Spring 1860)
"Edith & Lorina & Alice Liddell" (1860)
"Alice and Lorina Liddell on a see-saw" (1860)

の10点。
これらの中でヘルムット・ガーンズハイムの 『写真家ルイス・キャロル』 に掲載されている写真は1枚目と2枚目と4枚目と5枚目と7枚目の5枚。
それぞれの写真には本文中にドジソンの日記からの撮影した写真にかかわる部分の引用やガーンズハイムの解説がある――ない場合は写真のキャプションにガーンズハイムのメモがある――ので、該当部を引用するなりまとめるなりしておこう。

1枚目のアリス・リデルの写真は、クライスト・チャーチのディナリーの庭で撮影されたもの。

2枚目は1862年の9月の初めにパトニーで教区牧師をしている親戚ポロック家を訪問した折に撮影したベアトリス・ヘンリーという少女。
ガーンズハイムは、キャロルの  「ベアトリス」 という詩はこのベアトリス・ヘンリーの青い瞳から発想されたものではないだろうかと思いを巡らせている。

4枚目はラファエル前派からの影響の濃い作風で知られるアーサー・ヒューズ (Arthur Hughes) の娘、エイミー・ヒューズで、1863年10月12日に撮影された。

5枚目の二人の少女の肖像写真は1865年07月14日に撮影されたもので、この二人、マリオン・テリーとフローレンス・テリーはジョージ・フレデリック・ワッツ (George Frederick Watts) と結婚した舞台女優のエレン・テリー (Ellen Terry) の妹たちで、この姉妹も後に舞台女優となり成功を収めることになる。
ドジソンは1856年にロンドンのプリンセス劇場で上演されたシェイクスピアの 『冬物語』 でマミリアス役で舞台デビューを果たした8歳の少女エレン・テリーを目にし、称賛したそうなのだが、初対面はその9年後のこと。
その1865年というと、エレン・テリーは駆け落ちでワッツの元から逃げ出した頃で、そのことについては以前、ワッツのエントリを立てた時に軽く触れている。
ちなみに、ドジソンがエレン・テリーと初対面を果たしその肖像を撮影する2年前に16歳のエレン・テリーをジュリア・マーガレット・カメロンが撮影している。

7枚目はドジソン=キャロルお気に入りのモデルだったエクシーことアレクサンドラ・キッチンが中国人に扮したコスチューム・プレイ写真で、1873年07月14日に撮影されている。
今回ポストした10枚の写真の中では、1枚目のアリス・リデルの写真と並んで有名な写真の1つだろう。
この写真は、ヘルムット・ガーンズハイムの 『写真家ルイス・キャロル』 がイギリスで新装版が出版されたときに表紙に使用されている。
エクシーはドジソン=キャロルの写真モデルを最も多く務めており、実際、ネットで漁ったドジソン=キャロルの写真を見ても、このエクシーの写真が多い。
ということで、機会があれば、ドジソン=キャロルが撮影したエクシーの写真をまとめたエントリも立ててみたい。

あれ、『写真家ルイス・キャロル』 から日記を引用もするつもりだったのに、結局どれも内容をまとめてしまった。
ま、いいか。


Wikipedia
The Princeton University Library has one of the major collections of Lewis Carroll's photographs. Reproductions are for sale.

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